こころの健康に及ぼす歩行の効果

今回のご執筆は、本学教授 鈴木はる江先生です。こころの健康と、歩くことの関わりを、分かりやすく科学的なエッセイとしてまとめて頂きました。先生は神経生理学、運動生理学がご専門で、本学心身健康科学科と健康栄養学科で、生命科学概論、心身健康科学概論、ストレスと健康など、多数の講義を受け持っておられます。とても分かりやすい講義で、学生達に慕われ人気のある先生です。では、歩くことが、どんなに私たちの「こころと身体の健康」に役立つか、先生のお話をお楽しみ下さい。

鈴木はる江先生

 「身体の健康」に及ぼす歩行の効果については、しばしば取り上げられていますので、ご存知の方も多いでしょう。歩行は、酸素を消費して、筋肉の収縮に必要なエネルギーを取り出す運動、すなわち有酸素運動です。この有酸素運動は、体脂肪の燃焼や、末梢血管抵抗性の低下、インスリン受容体の感受性の改善などにより、肥満、高血圧、糖尿病などのいわゆる生活習慣病の改善や予防にたいへん効果があると言われています。歩行はまた、高齢者にとっては、下肢の筋力の増強や、骨量の維持にも効果があります。"


 歩行は実は「こころの健康」にも効果があります。私たちは、悩み事があるとき、散歩をすると少し気が晴れることを経験していますし、軽い運動が精神機能の向上に有効であるという研究報告も知られています。古代ギリシャの哲学者、ソクラテス、プラトン、アリストテレスらの人びとは、歩きながら、さまざまな議論を闘わせていたことから、逍遥(しょうよう:ぶらぶらと歩くこと)派と呼ばれていました。彼らが歩きながら議論をしている姿は、ルネッサンス絵画の巨匠の一人、ラファエロが、バチカンのシスティナ礼拝堂に壁画「アテネの学校」として描いています。日本でも、京都大学の教授を務めた哲学者、西田幾多郎が、京都の南禅寺あたりから、銀閣寺までの小道を思索にふけりながら散歩していたことから、この小道を「哲学の道」と呼ぶようになったという話は有名です。私たちにとっても、歩くことで、血の巡りがよくなり、独創的はアイデアが浮かんでくるようになるかも知れません。


 それは決して気のせいではなく、「歩行の精神機能を活発にする効果」の根拠の1つに、「大脳皮質血流増加反応」があります。私どもの大学、人間総合科学大学の前副学長の故佐藤昭夫先生らは、1980年代末~90年代前半にかけて、ラットを用いて、歩行が大脳皮質の広範な領域で血流量を増加させること、大脳皮質血流調節にマイネルト基底核(Nucleus Basalis of Meynert; NBM)が関与することを明らかにしました。


 マイネルト基底核(NBM)とは、大脳基底核の無名質という部位にある神経細胞の集団で、アルツハイマー病で特異的に変性・脱落すると言われる神経核のことです。このNBMの神経細胞は、神経伝達物質であるアセチルコリンを放出する神経線維を大脳皮質に広く投射することで知られていたのですが、その生理機能は良く分かっていませんでした。佐藤先生らの研究により、NBMの神経細胞が興奮すると大脳皮質の血流量が増えること、四肢足底の刺激はNBMの神経活動を亢進させ、大脳皮質の血流量を増やすことが明らかにされたのです。


 歩行による足裏の刺激は、NBMの神経細胞を活性化して、大脳皮質の血流量を増加させると考えられます。仕事や勉強で悩んだり、考えに行き詰ったときには、じっと腰を掛けているよりも、散歩や、軽い運動をすることが「こころと身体の健康」に良さそうです。仕事を進める上での新しいアイデアや、生活の知恵が思い浮かぶかもしれません。歩行により大脳皮質の血流が増えるとともに、緑の木立や、青い空を眺める視覚刺激も鬱屈した気分をリフレッシュしてくれるでしょう。「歩行」を「こころと身体の健康維持」に上手に取り入れていきたいものです。


執筆担当:心身健康科学科教授 鈴木はる江先生

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